3.11から1年
 東日本大震災からちょうど1年が経過しました。その瞬間(14時46分)は出かけている予定なので、記事を残しておきます。

 よく考えるとあの3月11日のことはあまり記録に残していないんですよね。そこで、1年前を振り返ることとします。震災の前後で時代が大きく変わったような気がするのは、自分だけではないと思います。

 この日は私を知る人なら皆さんご存知のとおり、結婚式の前日のはずでした。そのためのブログの記事も用意していました。結局コメントを少し変えてそのまま出しましたけど。なので、話はどうしても結婚式のことが中心になります。

 結婚式の打ち合わせや準備も順調に進み、「最後になにかあるのではないか?」と心の中で不安になった部分がありました。それが的中したのは結婚式の週に入ってから。職場の後輩のところにちょっとしたトラブルが発生。説明をする日が自分の結婚式と重なり、その後輩と乾杯をお願いしていた上司が10日になって式に出れなくなりました。式の直前で乾杯の音頭を取る人が替わるなんて、それなりに大きなことなので、不安はこのことだったのかな?なんて思っていました。結果的には「そういうこともあったな…」というレベルになるのですが(笑)。

 3月11日は結婚式の準備のために結婚休暇を使って休んでいました。午前中に嫁と式の準備をして、昼食は駅近くのパスタ屋で。そのときに支店長から上記の件で詫びの電話がかかってきました。嫁は式の準備のため、銀座でネイルを済ませたあと実家に戻り、当日は実家から式場入りすることになっていたので、駅で嫁を見送り、スーパーで夕食の弁当を購入して帰宅。結婚式の最後のスピーチを考えて、とりあえずかたちになったので、少し布団で横になっていました。

 横になってしばらくして、あの地震がやってきました。最初はただ揺れを感じていましたが、激しく長く続くその揺れの異常さに気が付き、テレビが倒れないように抑えました。幸いなことに自宅はアルバムが本棚から数冊落ちた程度でほとんど無傷でしたが。落ち着いた頃にテレビをつけて、まずは嫁に連絡。新橋のマックにいた嫁とはすぐに連絡が取れました。とりあえず無事が確認でき、嫁はそのままネイルのお店に。

 テレビでは、震災のニュースが続きます。途中何度か大きい余震もありました。するとそのうちに今度は津波がやってくると。まず中継されたのはたしか岩手県釜石。職場に釜石に実家がある後輩がいたので、「大変なことになっているぞ」とメールしたのを覚えています(幸いにして当人の実家はそれほどの被害はなかったようです)。普通の街が一気に津波に飲み込まれていく様子に、映画ではないのかとの錯覚を覚えました。宮城県名取の付近では空から津波が迫っていく様子や、仙台空港が浸水するところなどが生中継で刻々と放送されていました。

 16時くらいでしょうか。友人から「明日はどうなるの?」とメールがきました。もしものときは式場から連絡が来るだろうと思っていましたが、とりあえず電話すると、「予定通り行う方向です」とのこと。なら仕方ないか…。このころはまだ電話は繋がっていました。その次は嫁の職場から安否確認の連絡が自宅電話に。「こちらで連絡をとっているので大丈夫です」と伝えました。震災直後から2時間近くネイルの手入れをしてもらっていた嫁の携帯には、その間ものすごい数の着信が入っていたようです。手元から離していたので仕方ないのですが、のんきなものです(笑)。ちなみにうちの職場からメールで安否確認がきたのは17時過ぎだったかな? あとは嫁の実家からも連絡かきました。実家に帰るはずでしたがこういう状況なので、自宅に戻させてほしいことを伝えました。

 そうこうしているうちに、JRは終日運休するというニュースが流れました。私鉄ももちろんストップしています。ここで問題になるのは、嫁はどうするのか?ということです。ネイルが終わった嫁から連絡がきて、とりあえず埼玉の自宅に向けて歩いてみるとのことでした。

 このあたりから電話やメールがつながりにくくなりました。外では公衆電話が重宝されていましたが、自宅では携帯よりは普通電話のほうがまだ繋っていましたね。友人からは「明日の結婚式これじゃ出れない」という連絡が2人から届きました。「やるの?」という質問も続々とメールできます。しかもかなり時間を遅れて届くかたちで。当然の事ながら式場に何度も連絡したものの繋がらず。

 式場とようやく連絡がついたのが19時過ぎ。こちらからかけたのですが、繋がって早々、式場から「明日の結婚式、中止になりました」と告げられました。ホテル自体が避難所と化しており、翌日(式の予定日)は全館閉めて点検をしなければならないとのこと。首都圏の鉄道は完全にマヒして、翌日復旧する保証もなく、もちろん覚悟はしていたのですが、やっぱりショックでした。「無理なんですか?」と食い下がりましたからね。

 ここからの2時間が大変でした。ろくに電話が繋がらない中、結婚式の中止を80名近い出席者に連絡しないといけません。いちばん伝えたいのは都内から歩いて帰っている嫁ですが、携帯ということもありなかなか繋がらず、その間に自分の職場、嫁の実家、自分の実家の順で連絡が取れ、親族や職場の人に伝えてくれと頼みました。自分の友人にはメールで中止の旨を伝え、見たら返信をくれとお願いしました。最終的に「出れない」と先に伝えてきた2人以外から返信が届いて一安心。

 肝心の嫁と話ができたのは、実家との電話中。当然ながら嫁はショックを受けたものの、自宅まで歩きながらメール中心で友人に連絡することになったのです。嫁の職場は自分から連絡しました。割と簡単につながったのですが、緊張しましたね。

 テレビはつけっぱなし。電話は何度も何度もかけて、メールも駆使。そうこうしているうちに、都内の地下鉄が一部動き始めたとのこと。国道17号を歩いて埼玉に向けて歩いている嫁。17号の下を走る都営三田線も動いたということで、何度も連絡。ようやくつながった時に、幸いにも三田線の駅が近くにあった嫁は、そこから終点の西高島平まで移動。近くには荒川に架かる橋があって、そこを渡れば埼玉県。地図を見ながら嫁に案内をして、埼玉に入って一番近いコンビニに入るように伝えました。そこに入れば、居場所が確定するから自分も車で迎えに行ける。しかも自宅から車で15分くらい。携帯+携帯だと連絡を取り合うのが困難でしたから。

 嫁を迎えに行って戻って時には23時を回っていました。少しニュースを見て眠りについたのは1時を回っていたと思います。

 結婚式が中止(最終的には延期です)になって、ショックはあまりありませんでした。正確にはショックになる余裕がありませんでした。翌朝には式場に連絡して、式場の再予約を取るための打ち合わせのアポを取っていましたから。

 4週間後に結婚式は無事行うことができたのはご存じのとおりです。今でこそ震災の話の際のエピソードで使えますけどね。

 被害に遭われた方々に比べれば、自分たちのことは本当にちっぽけなことだと思います。震災の経験、悲劇は忘れたいこともたくさんあります。でも、それらのことは決して忘れてはいけないことだと思います。

 昨年末、宮城県東松島の被災地に足を運ぶ機会を得て、津波の爪痕を目の当たりにし、言葉を失いました。福島第一原発の影響で、避難を余儀なくされている人がまだたくさんいます。1日でも早く復興し、多くの人が普通の生活を取り戻せればと願わずにはいられません。
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by taka-takahiro | 2012-03-11 14:46 | ひとりごと

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最近は旅先の写真の掲載が中心になっていますが、時折そうでないことも残していくかもしれません。

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